2014年1月12日日曜日

1-12 厄払いが済んだ

お薬師様にて

一昨日書いた祈祷者芳名
お堂に入れない人は外で
やっとお薬師様の行事の日が来た。御祈祷を受ける人は、お薬師様へ餅等を運び入れる。運び込んだ餅やお菓子の箱が、一方の壁にうずたかく積まれた。
 10時から、和尚さんの読経が始まった。座布団はあるものの、30分ほどの正座は辛い。足が痺れてしまった。御祈祷が終了すると、いよいよ餅まきだ。薬師堂から下の寺の境内に組まれた櫓の所まで箱を運ぶ。餅まきは3回に分けて行われるのだが、1回につき段ボール箱、20個ほどを櫓の上へ運び上げる。お菓子の箱は軽いが、餅の箱は重い。
 1回目にまくことになっていたので、櫓の上へ上ると、足の踏み場が無いほど、餅で埋め尽くされている。自分の陣地を決め、餅まき開始。下からはオバサンたちが、「こっちへ投げて~、こっち~」と叫ぶ声が飛び交う。知り合いの叔母さんの顔も見えるが、まんべんなくをモットーに放る、放る!
今や遅しと
気持ちよくまきました
 5分ほどで櫓の上がカラッポになった。これを3度繰り返す。天気が良かったのに、今日は例年よりも餅拾いに集まっている人が少ないように感じた。餅の量は昨年よりも多かったから、大きな箱を両側に持って帰っていく人がいるほどだった。少ない人でも数十個は拾っていた。見ている時に、まかれた餅が頭や肩に当たったけれど結構痛かった。下に陣取っているオバサンたちは痛くないのだろうかと心配になる。夢中になっているから感じないのかも。何はともあれ、厄払いの行事は無事終了した。

2014年1月11日土曜日

1-11 餅つき

餅を搗いてもらう

明日のお薬師様の厄除け祈願者は、その後に行う餅まき用の餅を供える。明日の祈願者は40名。これは出雲地区の行事なので、当番の地区でも餅つきをする。今年は180kgのもち米を購入したそうだ。実家の裏の公民館で、朝早くから忙しそうに動き回っていた。
 ほとんどの個人の餅は、儀平や楠本ベーカリーといった串本の店に頼んで搗いてもらうようだ。1升が2200円。だいたいは3升を供えるらしい(らしいというのは、個人的に聞いた2人とも3升と言っていたから)。K叔母さんの家でも息子のために搗くので、一緒に搗いてくれるというので、暮れにいっちゃんの実家から送ってくれたのを使うことにした。搗くのは機械だが、蒸したり、ちぎったり、丸めたり、袋詰めの作業は人の手だから大変。叔母さんは3升なのに、我が家は一斗もお願いしてしまった。出来上がった一斗分の餅は、3箱にもなった。明日は初めての櫓の上だ。いっちゃんは、調子に乗って落ちないようにとクギをさしてくる。落とすのは厄で、櫓の上から人が落ちたというのは聞いたことがないけれど・・・
 来年はいっちゃんが還暦だが、女性は櫓の上に上れない。その代理で上るとすれば2年続きということになるが。明日が楽しみだ。

2014年1月10日金曜日

1-10 庭中霜柱

庭の霜柱

陰の部分は真っ白
寒さに負けず
今日は4時間目からの授業なので、少し遅く起きた。庭に出ると、庭中が白い。一昨日の雨で、地面には水分が多く残っていたのだろう。これほど霜柱が出ていることはなかったから珍しい光景だろう。陽があたりだしても、なかなか融けずにシャーベット状になって残っていた。
 寒さにも負けず、野原から昨春引き抜いて移植したスミレが元気に咲いている。やっぱり野生種は強いと感じる。

モグラの仕業
 庭の端っこの方に、このような土が盛り上がったところが何か所もある。
 どうもモグラが住んでいるようで、あっちに行ったり、こっちに行ったりしているらしい。奥の畑にしている方には行ってないから良いのだけれど。


お薬師様の厄払い

 こちらに戻って来てからは書き物を頼まれることが多くなってきた。今回は、1月12日(日)に行われるお薬師さまの厄払いの祈祷をお願いした人の芳名を書く。19歳から25歳・・・61歳の厄歳と健康祈願をする人など。今年は40名が願い出ている。それを巻紙に書き、薬師堂の祭壇前に張り出す。昨年までずっと書いてくれていた方が、今年は親戚の不幸があったので、それを気にする人もいるかもしれないと辞退した。それではと、お鉢が回ってきたという次第。
 この中に自分の名前も入っているから、些か複雑ではある。











2014年1月8日水曜日

1-8 仕事始め

朝も、昼も、夜も

 昨晩から天気が崩れ、雨が降りだした。それが今朝も続き、結局一日中降り続いた。雨のお蔭で放射冷却がなく、割と暖かめの朝だった。しかし、寒気が近づいているせいで、日中になっても気温が上がらず、体感気温は朝よりも下がった。
 1月8日が3学期の始業式という学校が多い中、新翔高校は1月6日が始まりだった。幸い、この日の授業がなかったので、仕事始めは昨日の7日となった。
 ただ、この日は午前中は高校、午後からは青少年の家、夜は自宅と一日中で、年の初めの仕事としては聊か厳しいものがあった。おまけに、高校では3年生の定期試験が来週ある。その問題作りにも手を付けた影響で、昨夜はブログまでたどり着かなかった。
 青少年の家では、暮れの最後の練習の時、新年は書初めから始める予告をしていた。それぞれ4文字熟語考えてきていた。最初は、おっかなびっくり。大きな紙に書いていくというのは度胸がいることだ。このへんは、子どもたちの方が逞しい。堂々と書きあげるから驚きだ。それでも1時間ほど書いて、一応の完成をみた。表具をすれば恰好はつくんだけれど。
 青少年の家は、和室の大広間があるので、こういうことをするにはうってつけだ。

2014年1月5日日曜日

1-5 秘境の秘境

初めての地

同じ串本町内、しかも海を挟んで2㎞先の対岸だから、昔からよく見ている。しかし、今まで一度も行ったことがない。そこへ今日初めて行った。大島の須江地区の白野漁港という港だ。細く曲がりくねった道のどん詰まりの所だった。反対側から見る風景は、見方が違えば雰囲気が違う。例えば串本大橋。こちら側から見ると、橋と橋につながるループが連続した形で見えるのには驚いた。いつも見ている方からは、真ん中の苗我島(みょうがじま)で遮られている。串本自体も秘境だが、そのまた秘境という感がする。
 
 
出雲崎

初日の出を見るにもいい!
 正月休みで来ている三男が、行ったことがない所に行ってみたいということで、白野漁港に行った。その後、おばあちゃんに挨拶してこようと、お墓に寄った。墓は出雲崎の付け根にある。そこから岬の方へ行ってみたいというので案内した。しばらく行くとビーコンBeacon )が建っている。そこから先は細い小道が続く。
丘全体が木で覆われていた
 子どもの頃は木が生えてなく、背丈の低い笹林だったから少し行くと見晴らしが良く、180度近く、太平洋が眺められた。途中に小高い丘があり、上には穴が開いていた。戦争中は、ここに高射砲を置いて敵機を撃つための穴だと聞かされていた。その周りにもそのような穴が何か所もあった。子どもの遊び場としては絶好だった。ところが50年も経つと木の成長はすごく、雑木林になっていて、その丘も様相が変わっていた。それに子どもの頃はかなり高い丘だと思っていたが、ビックリするほど低かった。
 海が見えるところまでは、かなり歩くことになった。立ち入り禁止区域のはずなのに、岬への道がしっかり出来ているのは釣り人の仕業だ。林を抜けると急に視界が開け、太平洋が一望できる。下を見ると磯には、かなりの数の釣り人が竿をだしている。これだけ人が踏み入れば道もできるのだと思った。磯に降りるには急坂を下ることになる。そこは笹の落ち葉で滑るので、ずっと手製のロープが張ってある。やるもんだな~と感心した。

2014年1月4日土曜日

1-4 初詣

熊野本宮大社へ

階段の上が本殿
この門を入ると撮影禁止
  地元の神社には1日の夜中に詣でたが、違う神社にも行ってこようかということになった。最初の予定では、伊勢神宮へ行く予定だったが、時間の都合があり、今回は三本足の八咫烏で有名な熊野本宮へ行った。一昨年、仕事の関係で本宮大社へ行ったことはあるが、いっちゃんは初めてだ。新宮から奥に約1時間走って到着した。三が日は過ぎていても、今日は土曜日なので参拝客は多かった。新宮市にある熊野速玉大社とは建築の形は似ているのだが、速玉大社は朱塗りで鮮やかなのに対し、本宮大社は全体が黒で統一されていて厳かな感じがする。今回は、しっかりと願い事をして下りてきた。
 現在の大社は、明治22年の大水害で流されて、現在の高台へ引っ越している。参拝の後に、以前の本殿後へ行った。ここは川の中州のような場所にあり、大きな黒い鳥井が聳えている。その門をくぐると、周りを杉の大木で覆われた場所が現れる。ここを大斎原(おおゆのはら)という。かつての大社の跡だ。この中にあった碑に目が留まった。一遍上人の手によるものだ。「南無阿弥陀仏」と掘られているのだが、なかなか斬新な書体で驚いた。

還暦新年会

わいわいと
 串本高校、昭和47年卒業生の同窓会を、オリンピックの年に行っている(と幹事は言うのだが、集合写真で見ると5年ごとになっている)。前回は平成24年にした。いつもは正月にしているのに、前回はどういう訳だかお盆だった。そのせいか参加者が少なくブーイングだった。どうせするなら還暦にしようよ、という意見が多く出て、イレギュラーだが今回の開催となった。
いいオジサン・オバサンでした
 3日、会場はハーバーホテル浦島。最近は、ずっと串本ロイヤルホテルで行っていたのだが、今回は会場が抑えられなかったとか。でも、食事は断然こっちが上。バイキングではなく、お膳にはスキ焼、刺身、テンプラ、アワビのステーキなどなど盛り沢山だった。
 参加者は、60名弱。卒業生が350人ほどいたのだから寂しいと言えば寂しいが。特に、地元在住者の出席者が少ないのは???だ。出席者は大盛り上がりで、楽しい時間はアッと言う間に過ぎた。

2014年1月1日水曜日

1-1 初日の出

2014年の日の出

 昨晩は、12時をまわり新しい年になったのを確認してお宮参りをした。この地域では、行く途中、厄年の人は数えの年齢の数だけ硬貨を辻に撒くという風習がある。還暦なので61枚。金種は問わないけれど大人だから100円玉で揃えた。知り合いの子どもに撒くからと告知しておいたら母親同伴で来てくれていた。盛大に撒いた。神社に入る前に海で手を清める。今日が新月で、ちょうど干潮らしく、今まで見たこともないほど潮が引いていてビックリ。海までが遠い。

前の鉄塔が邪魔だけれど
 二礼、二拍手、一礼して神社を後にした。毎年、色んなことをお願いするのに、今回は無の心境だったのか、何も考えなかったのが不思議。その後、お寺へ回って、除夜の鐘をついた。厄年の人は、家を出て、ここまでは人と話ができない。話ができないというのは何と難しいことか。
 

 初日の出を見るために早く起きた。いつもは実家の近くの浜に行くのだが、今回は初めて自宅から少し坂を上った場所に行った。海までは遠いのだが、水平線が丸く見ることができる。そこについて暫くすると、雲の一部から太陽が顔を出してきた。出たと思って見ていると、あっという間に全体が登ってきた。海から直接ではなく、少し雲の帯があったけれど、割ときれいな初日の出だった。

本日は鯛

 こちらに帰郷してから毎年、実家の隣のTさんから正月用の鯛をもらう。今回も、昨年の暮れにいただいたものだ。昨日、メジロを食べたので、鯛は後回しになってしまった。昨日のメジロと違い、鯛の場合は、まず鱗を落とさなくてはいけない。新鮮だから鱗も元気がいいので、飛び跳ねて大変だ。その後は三枚におろす。鯛は骨がかなり固い。苦労しておろしたのだ。次の行程、皮を引くのは難しいのだが、鯛は皮と身の間が美味いとも書いてあったので、今回は皮を引くのをやめて、皮つきのままにした。昨日のシャブシャブが美味しかったので、今日もその形で食すことにした。お味は言わずもがな、でした。