2011年10月28日金曜日

大島は平地がない

いざ大島へ
ループを上って大島へ
一昨日から、いっちゃんが上京しているので、思い立って先日下見をした大島の樫野に行くことに。下見で大変だとは覚悟していたが、やはりキツい。昔は、「ここは串本、向いは大島、中を取り持つ巡航船」というように、船でしか行けなかった。しかし、道路が開通し、陸続きになった。高校生の頃、台風が近づくと、大島の生徒は早く帰宅できるのが羨ましかったな。現在は余程のことがない限り通行止めにはならない。


 橋を渡ったら大島。すぐに坂道が続く。しかも急坂だ。(左のような坂道)
大島は平らな道が全体の10分の1もないぐらい坂道が多い。その坂道は徐々にではなく、急に上り、上ったと思ったらすぐに下る。
そんな感じで樫野埼まで続く。
海金剛の荒々しい景色


寄り道をして海金剛へ
樫野埼の手前で、海金剛の看板が見えたので、そっちも見てみることにした。
太平洋からの強い波で、三角形に尖った岩が目に付く。ここから遠くを見ると、かすかに樫野埼灯台が見える。


樫野埼に到着
 樫野埼には慰霊碑が建つ。(詳しくは下の説明を参照)
近くにはトルコの記念館やグッズを販売する店が数件ある。「のびーるアイス」というのが有名らしい。


エルトゥールル号遭難事件(エルトゥールルごうそうなんじけん)とは、1890年明治23年)9月16日夜半、オスマン帝国(その一部は現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号(Ertuğrul Fırkateyni)が現在の和歌山県串本町沖にある、紀伊大島樫野埼東方海上で遭難し500名以上の犠牲者を出した事件である。この事件は、日本とトルコの友好関係の始まりと考えられている。
現在、和歌山県串本町の樫野崎灯台そばにはエルトゥールル号殉難将士慰霊碑およびトルコ記念館が建つ。また、町と在日本トルコ大使館の共催による慰霊祭も5年ごとに行われている。

上と下に海が見える
串本は陸繋島(リクケイトウ)
大島から下ってくると、串本の町が見える。串本の町の上側と下側に海が見える。
 ちょっと面白いので、写真を撮ってみた。右上に見えるのが紀伊半島、大阪方面。
 今日は25キロしか走ってないが、なかなかハードだった。

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